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さて、前回は、わたくしガイコツの出生から北関東に引っ越すまでを思い出しながら綴ってみました。
今回は、引っ越し後のあと、保育園を卒業して小学校にあがるくらいまでのことを思い出せる限り書いておきたいと思います。
保育園時代
北関東某所に4人で生活することになったわたしたち。
ギャンブラーであることを隠さなくなった父は、賭事に負けるとわたしと兄に八つ当たりするのが日常化してきていました。
足から逆さに吊るされて布団たたきで叩かれまくったり、寝てる顔面を足でグリグリ踏みつけられたり、外に出て泣いてたら茶碗投げつけてきたりと、ひどい父が怖くて、ガイコツはお母さん子になっていました。
はじめて保育園に連れていかれた時のことはよく覚えていて、あれは多分事前の顔合わせというか面接みたいなものだったのか、母と保育園に入って職員さんと話した記憶があります。
わたしは知らないところに連れていかれて怖くて怖くて火のついたように泣きまくった記憶があります。
それでも、毎日無理やり連れていかれて置いていかれたら嫌でも順応していくんですけどね。
兄の卒園式、保護者が自分の子どもに花束を渡すところで、みんなが同じ歩みで揃って親子同士近づいていくところなのに、母が感極まって号泣しながら兄に走って抱きついたのを覚えています。
多分この頃から父がろくに仕事もしておらず、母はだいぶ苦労していたようで、その辛さが堰を切ってしまったんだろうと、子どもながらに思っていた。
まあそんなこんなで、わたしも保育園を卒園し、小学校に入学した。
兄
兄は、知能が少し遅れていた。
何が悪かったのかわからない。
妊娠中に母が煙草を吸っていたのか。
わからない。
とにかく、兄は知能が少し遅れていた。
いじめにあっていた。
当時のいじめはとんでもない残虐なもので、覚えているのは、蝿を食べさせられたり、水のなみなみ張られた田んぼにランドセルごと何度も突き落とされたりしていた場面。
カツアゲもしばしばされた。
小学校低学年の、しかも極貧の家庭のわたしたちが金など持っているはずもなく、親の財布からネコババさせられるのだ。
そして兄は、鬱積した怒りをわたしにぶつけた。
自転車の後ろにわたしを乗せて思い切り漕いだと思うとそのまま飛び降りて、自転車ごと大クラッシュさせるというのをなんどもされた。
よく死ななかったなと思う。
あぁ、書いていてしんどいわ笑
次回は、小学校生活が壊れていく課程、母と愛人のこと、父から逃げ出すところあたりまでを書いていきたいと思います。