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前回は、甲信越地方の施設に置き去りにされたあと、北関東某県の児童養護施設に入所するまでを書きました。
今回は、ある意味(ほとんど悪い意味で)自分の原点になっているともいえる、この施設での生活を振り返っていきたいと思います。
施設の概要
この施設のHPを見てきました。昭和53年に開園、平成28年に完全な建て替えが行われており、ものすごく綺麗になっています。
当時は、夜食堂にいって電気を点けてみると、大量のゴキブリが這い回っている劣悪な環境でしたので、本当によかったです。
2歳くらいから18歳までの児童が預かられているのは当時のままですね。
当時、園児の数はどのくらいいたんだろう…食堂のテーブルの配置を思い出してみると、だいたい男女合わせて100人くらいだったでしょうか。
3階が男子禁制の女子居住スペースで、2階が男子居住スペースとオリエンテーリング室、1階は食堂、浴室、園内保育園、洗濯室、事務室等がありました。
通学の便でいうと、小学校は至近、中学校までは約500m、徒歩で6,7分といったところに位置していました。
駅はちょっと遠くて1km強、徒歩15分くらい。
目の前には公園があって、アヒルを飼ったりしてました。遊びはもっぱらここでした。
施設の生活
起床は6時半だったかな…起きると自分で布団をたたんで着替え、BGMが鳴っている間に清掃を行います。
大食堂で朝食を摂って学校へ。
門限は17時?だったかな?部活などで遅くなる場合は必ず届けが必要でした。
遊びで遅くなるというのは許可されません。
夕方にも食事前に清掃BGMが流され、掃除します。
夕飯後は食器当番というのがあって、3人1組の持ち回りで、全員の食器を洗っていました。
園の食事ですが、あまり美味しくなかったものの、腹は満たせました。
各テーブルに置かれたおひつにはご飯がたんまり盛られていましたし、自分のテーブルのご飯が終わってしまっても、女子のほうのご飯が余ったりするので。
園ではおやつ等は一切ないので、夜お腹が空いても食べるものは何もありません。
ですので、食べておかなければあとで辛いわけです。好きなものでも嫌いなものでも、とりあえず無理やり食いためていました。
ここでの生活で、わたくしガイコツの大喰らい属性が養われました。
夕飯が終わったら自由時間。消灯は21時です。
平日は、21時過ぎは勉強以外では起きていることはできません。
勉強する場合は、夜間勉強として届けが必要でした。
中学にあがると洗濯も自分でしなくてはなりません。
施設の休日
休日は、10時からなにかしら行事がありました。
目の前の公園の草むしりや、少し離れたところにある園の所有する畑の作業です。
外出届けを提出すれば外出が可能。自転車も借りることができますが、やはり届けが必要でした。
休日前日は届けを出すことで夜間テレビというのが2時間許可されます。
土曜の21時からというのは映画があったり面白い番組が多かったので、楽しみでしたね。
ただ、テレビの台数は決まっているので、園内ヒエラルキーによって観る番組は決められることになります。
お小遣い
毎月、少しお小遣いが貰えました。
- 小学校低学年=400
- 小学校高学年=800
- 中学生=1200円
- 高校生=1500円
ほとんど何もできない額ですが、今考えると、もらえていただけでありがたいです。
小さい頃は、休みの日にみんなで小学校前の駄菓子屋に行って駄菓子を買いました。
高校時代は、部活後にどうしても飲みたいときにジュースを買っていた記憶があります。
指導員と保母さん
男性の職員は指導員と呼ばれました。
子供をトイレに引っ張り込んで膝蹴り連打するような、頭のおかしい奴が多かったですね。
特に、子供をすぐぶん殴るおっさんが一人いて、そいつは頭に血が上ると、左右の瞳が離れていくんですよ。
元々ちょっと斜視気味のその男の瞳がギューンと離れていくと顔面に強烈なパンチが飛んでくるので、恐ろしかったです。
女性の職員は保母さんです。今は保母さんていうと差別とか言われるのかな?
当時はそんなこと言う人はおらず、保母さんは保母さんでした。
保母さんも色んな人がいて、優しい保母さん、意地の悪い保母さん、なんかちょっとエロい保母さんなど…
保母さんは宿直があったので、そこで年頃の児童(17,18のマセガキたち)と問題を起こしてしまいクビになる保母さんが、私が施設にいた7年の間に2人くらいかな…いました。
園内ヒエラルキー
園での生活は、園内のヒエラルキーが全てを支配しています。
下は2歳から上は18歳までの児童たちは、基本的に年齢で序列がついていました。
たまに喧嘩の強いガキがいたりするんですが、どんなに強い子でもせいぜい一目置かれる程度。
この年頃の子どもの体力や気迫は、1歳、2歳差の壁を越えられません。
結局、年齢のヒエラルキーに隷属することになります。
このヒエラルキーの構図が、そのままイジメの構図になるわけですが、イジメの話はまた別稿にて書こうと思います。
定例イベント
園ではいくつかの定期イベントが有りました。思い出せる限り思い出してみます。
- 施設対抗野球大会とソフトボール大会
園の子どもたちは等しく全員野球チームかソフトボールチームに入ります。
女子と、小学校低学年までの児童はソフトボール、それ以外の男子は野球チームです。
レギュラーに入れなかったら当然雑用です。こき使われます。
大会は年2回、春と夏だったかな。県内外の6つくらいの施設対抗で行われます。
県内の施設の中でも素行の悪いガキが集められた某施設が毎年強かったのと、おっかなかったですね笑
野球はまあ割と面白かったんだよなあ。他に娯楽も少ないし。
わたくしガイコツの運動神経は標準程度で、最後の大会(16歳のとき)で5番ファーストでした。
- 海
夏は何年かに一度海に連れて行ってもらっていたような…うーむ、あまり思い出せないな…
- 納涼祭
食券が配られて、普段飲めないクリームソーダや、こういう時しか食べられないかき氷なんかが食べられるのが嬉しい行事でした。
焼きそばも人気でしたね。
- 収穫祭
畑で収穫した野菜などでバーベキューをします。
調理の練習なんかも兼ねてるんですよね。
これは楽しかった。
- クリスマス会
クリスマス会は、普段飲めないジュースや、食べることのできないケーキ(ただし、生クリームのものではなく全てカスタードクリームのあまり美味しくないやつでしたが、喜んで食べてました)が食べられるので一大イベントでした。
プレゼントも、1000円以内くらいを限度に、希望のものが貰えていたような気がします。
小学校の時にミニ4駆が貰えたんですが、「ミニ4駆」という大カテゴリまでしか指定できず、欲しい車種が他の子どもの手にわたってしまって悔しい思いをしたのが印象に残っています笑。
余興もありましたね。むりやりやらされる系(賛美歌歌わされたり)と、自分たちで自主的に発案して企画するものなど。後者は、ヒエラルキー上位の者たちの趣味で決められることがほとんどでした。
まとめ
懐かしい(そして忌まわしい)施設の生活について、大雑把にですが、色々と思い出して書いてみました。
書いていると思い出すこともあり、記憶の整理になりました。
常にイジメの恐怖にさらされながら、規則に従って機械的に生活する、刑務所のような場所(収監された経験は無いですが笑)でした。
強くいなければ潰されてしまう世界。欲しいものは力づくで得ようという意志の力がないとやっていけない世界でした。
わたしの歪んだ性格は、施設入所前の虐待の日々と、この施設での7年間の生活で形成されたんだなぁと、改めて感じています。
次回は、園で起こった記憶に残る事件と、園で蔓延していたイジメについて書いてみたいと思います。